会長コラムCOLUMN
第5回 カメラに関する一考察(カメラ自慢) 2004.12.18
一考察といっても、単なる思い付きの文章であることをお許しいただきたい。
また、かなり偏屈な理屈をこねそうなので、筆が滑らぬように注意するが、それでも滑ったら御免なさい。
先日、お客様から、カメラの本体及びレンズその付属品のセットを安く譲っていただいた
(仕事で大いに活用させていただこうと思っている)。コンタックスRTSVとそのレンズ、
デイスタゴンT28ミリF2.8、マクロ・プラナ−T60ミリ、プラナ−T85ミリF1.4、
バリオゾナ−T80〜200ミリF4などのレンズ群である。
さて、この文章をお読みになっている方で、「お、」と思われた方はかなりのカメラ通である。
詳細は省くが、このコンタックスは、ライカ(のズミクロンレンズ)と並び賞される
ドイツの2大レンズメーカーの一翼を担うカメラの名称で、「カール・ツァイスレンズ」といえば
お分かりになる方も多いのではないのだろうか。
カメラは、いまやオートフォーカスが当たり前、デジタルも普及して、
カメラがなんでも自動でやってしまう時代となった。
しかしである。このコンタックスは、常にマニュアルフォーカス
(昔ながらに、せっせと手でピントを合せるタイプ)にこだわり、レンズを中心としたカメラのつくりを
考えてきた稀有なカメラメ−カーなのである(実際は、日本の京セラが製造しているが)。
とにかく、操作は、簡単ではない。簡単ではないと言ったのは、カメラが何でも自動でやってくれないと言う
意味で簡単ではないと言ったのである。実は、カ メラの基本的な構造は、えらくシンプルであって、
ピントを合わせ、「シャッタースピード」と「露出」の組み合わせで光をフィルムに焼き付けることにある。
言ってみれば、ただそれだけであるが、この「シャッタースピード」と「露出」の組み合わせで、
画像は無限に変化する。
コンタックスは、マニュアルフォーカスで、単純であるがゆえに(カメラが何もやってくれない。)、
そのカメラを持った人間は、常に、被写体と向き合い、表現の難しさを突きつけられる。
さて、このカメラのパンフレットの文章があまりにも素敵なので皆さんにご紹介しよう。
「画家の目。小さなラジオから流れるモーツアルトのピアノコンチェルト。その演奏家を聴き分けられる
人がいるようにヴェルレーヌの詩の一節を口ずさむだけで、パリの濡れた街角に立ちつくす自分に
出会える人がいるように。たった一輪の花からも光と意図の無限のニャアンスを発見できる人がいるとしたら、
たとえ生まれて一度も絵筆を握ったことがなくても、その人は画家だ。ルノワールの眼を持つ人だ。
何気ない風景にも、深い映像の演劇がひそんでいる。映像を愛する世界中の画家の眼たちに、捧げたい、
コンタックスの新しい最高峰、RTSV。」
たしかに、シャープにピントがあった状態では「空気まで写し取る。」のである。
でも、やはり、このカメラは難しい。このカメラは、そのシャッターを押す人間の内面まで読みとるのではないか。
ご興味がある方には、そのカメラとレンズ群をご覧にいれることはできる。しかし、私の作品(?)を
お目にかけることができるかどうかは、実は定かではない。私は、腕組みをしながらカメラに見とれてしまっている。レンズの輝きにやられているのである。やはり、このカメラは難しい。