会長コラムCOLUMN
第33回 「へんだぞ」 2013.05.10
職業柄、物事を疑うことにしています。もちろん自分がやった行為も含めてです。いままで、専門誌に小論文や単行本の執筆をしてきましたが、はっきり言って満足のいくものを世に出していません。これからも同様に出せないと思っています。理由は簡単で、問題と思えるもの、その解決まで含めて洞察する力や表現する力が無いのです。自分の表現したものでさえこの始末ですから、人の書いたものなど尚更信じられません。
・・・・とここまで驕った表現ですが、実は疑ってかかる理由の根本には、「状況は主観によってどうとでも捉えられ、しかも絶え間なく変化する事にある」からだと思っています。ですから、どだい断定的な表現など無理なのです。
でも、なんとなく流されていく生活の中で、「へんだぞ」という感覚は極めて役に立ちます。例えば、帳面や領収書から感じる「なにかへんだ」という感覚は「専門家の注意義務」を全うする灯台の役目をします。
この「へんだぞ」という感覚は、自分の肉体や心まで含めた相対の現象社会で、唯一変わらぬ正気の世界からの信号です。「へんだぞ」という感覚が湧くと嬉しくなるのは私だけでしょうか・・・・・・??