所長コラムCOLUMN

第47回 「仕事を辞めたら」 2020.07.15

 久しぶりの同窓会での話です。「仕事を辞めたら『いろいろなこと』をやって『いろいろなところ』に行こうと思っていた。ところが、いろいろなことに興味を持てなくなっちゃった。」
「おー、俺もだ。」「俺は、家内や家のこと、近所付き合い、いろいろ煩わしいことが増えてきて、気になってしょうがない。」皆が、「そうだ、そうだ」と相槌を打ちます。
 まだ、現役どっぷりの私には、仕事が無くなったら自分もそうなるだろうなと思いつつ、その感覚はピンと来ません。他人事のようです。そこで、考えました。本日のお題は「定年後にやることが無くなった。」です。

 我々日本人は、自分の人生の時間を、自分の意思で、自分のために使うことが苦手のようです。特に私の年代(1950年代生まれくらい)は、子供のためあるいは孫のためには時間やお金をできる限り使うのに、いざ自分のために何かするというと、途端にできなくなるという人が多いように感じます。

 その理由の一つに、子供のときから塾や部活、社会人になって仕事や子育てに追われて自分の事を振り返る余裕がなかった。私も、自分のことをするのは仕事や用事の合間、余暇やリラックスの時間だと思っていました。その余暇も、人付き合いや気晴らしのエンターテイメントや旅行でいたずらに時間をつぶしてしまったように思えます。

 自分の心の欲求を行動に移すというよりも、外部から押し寄せてくる「やらなければならない」という事柄を、条件反射のように打ち返して過ごしてきたと思い至りました。また、多くの人の生き方もそうではないかと思います。

 日本には花見だ、夏祭りだ、アマゾンプライムだ、面白く生きられる装置がそろっています。でも、「自分の心の欲求を行動に移す。」訓練ができていないと、環境の面白そうな雰囲気に流され手ごたえを感じません。
 冒頭の「いろいろなことに興味を持てなくなっちゃった。」という言葉は、「やりたいと思っていたことは、忙しさの中での逃避願望、もしくは他人からの受け売りに過ぎなかったことが露呈して白けたと言い換えられるのではないかと思います。

 もう私の年代になると「やりたいこと」を見つけるのに時間を費やすよりも、興味がなくなった現役時代の夢を義務のように実現する努力をすることのほうが現実的です。
 そうすることにより行動することの快感を得て、意思→行動→快感の回路を太くすることができるのではないかと思います。

 国内ゴルフ旅行をし、映画を見まくり、本を読みまくり、おいしい和食を食べまくる。
 これが、私の夢でもありますが、いまは来るべきその夢の実現のための「深堀り」の時期と心得て、その準備を楽しんでいます。

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