会長コラムCOLUMN
第50回 「明治大学体育会合気道部」 2022.11.24
私の出身大学は明治大学です。学生時代は、あまり勉強をした記憶がありません。
体育会の合気道部という部に所属をして、まさしく青春を謳歌していました(誤解のないように言うと、その稽古中はブルーな気分で過ごしていたと記憶しています。振り返れば「よかった。」ということです。)その合気道部から「吾勝」という機関紙が発行されています。合気道は、創始者が植芝盛平という方で、その方が残した有名な言葉に「正勝吾勝(正しく勝つことは己(吾)に勝つことだ。)というものがあり、そこから採用した機関紙名です。以下は、現役生(若い方)へのエールを込めて私が書いたものです。
振り返ると卒業してから45年が経ち、我が代のメンバーも皆、完全定年(65歳)を迎える年になりました。そろそろ、体の衰えと家族構成の変化(多くは夫婦2人となる。)に揺れ動く心をなだめる毎日となりそうです。その同期の一人であるAさんが令和4年9月27日肺がんをわずらって、2年間の闘病もむなしく鬼籍に入られました。10月3日の通夜式には、青畳のうえで共に汗を流した当時のコーチであったE先生はじめ同期あるいは懐かしい先輩・後輩も駆けつけてくれました。祭壇には、道着と袴がさりげなく置かれ、その遺影はとてもすがすがしい、あの時を彷彿させる笑顔を見せていました。
人の心は目に見えませんので、彼の想いは慮るしかないのですが、確かにAさんの心には、45年前の稽古や先輩後輩とのやり取りが刻まれていたに違いありません。古びた道着が語ってくれているようです。人は、一人で生まれてきて一人で逝くと言われています。昭和53年の代は7名いました。卒業後、10年くらいたってから、同期の一人、Bさんが亡くなっています。静岡県島田市出身でした。大井川鐵道の沿線にあるご実家で葬儀が行われました。ちょうど8月のとても暑い日に、私の実家(沼津市)からクーラーの壊れたワゴンに同期皆で相乗りして、Bさんの葬儀に駆け付けました。皆汗だくで、ハンドルを握る手のジメっとした感触をいまでも覚えています。そのときの私の思いは「なぜ、こんなに早く・・」というものです。あれから、30年近くたって、Aさんという同期を亡くして思うことも「なぜ、こんなに早く・・・」という同じ思いです。そうです、人は皆、このような不幸(死)は、自分には訪れないと思い込んでいるのでしょう。この世で死者が出ない家はない、死なない人はいないとわかっているのですけど。
まだ若い現役やOBには縁起でもないことを書き綴ってきましたが、自分も含め仲間も永遠ではないのです。だからこそ、しっかり稽古もしてほしいし、仲間も多く作って頂きたいと思います。勉強もしかりです。必ずや、生活(生きるうえ)の礎になってくれると思います。どうぞ、日々努力をして、毎日の生活の中でその結果を謳歌して下さい。そして、良き縁を大事にされることを願っています。