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(発行日 2013年7月5日) 編集・発行 株式会社 アサヒ・ビジネスセンター

はじめに

代表取締役・税理士  坂部 達夫

 すべての人が「経営」について一定の見識をもつべきだ。これが私の持論です。ご存じの方もいらっしゃると思いますが「経営」という言葉は仏教用語です。源氏物語にも「娘の経営を頼む。」とあります。娘の行く末・その人生を頼むという意味です。

 法人は法律によって人格を与えられたもの。「経営」は、会社のみならずすべての人のものです。「経」は縦糸、「営」は横糸を表し、組み合わせて1枚の布を織りあげるイメージです。材料等を吟味し、どのような模様で仕上がるのか想定し、軌道修正しつつ縦糸と横糸をキッチリ組み上げていく。周囲に振り回されることなく、その布を手にした人の笑顔を思い描きつつ、コツコツ作業する。そんな思いが、日本の伝統にある「経営」のあり方です。

 

 

今月のトピックス

エンディングノート

税理士  坂部 達夫

 ちまたの本屋や電車の吊革広告などで「エンディングノート」という言葉を目にすることが増えました。これは、おのれの人生の総括として、自らの経歴や家族への思い、財産分けの示唆などをノート形式で残しておく私的な文書です。自らの思いを家族に伝える手段として遺す遺言です。ただしこれは、この通りに執行できる「法的強制力」をもつものではありません。



(1)法的効果と影響

人は「思い込み」をします。
私は、「エンディングノート」の発想に触れて目からうろこが落ちた気がしました。遺言には法的効果を求めないと意味がないと思っていたからです。その中でも安全確実な公正証書遺言を勧めています。この公正証書遺言は、残された遺族にはかなりのインパクトがあります。突然、長男から見せられる「遺言書」。遺留分という権利を除けば、有無を言わさぬ強制力があります。
私どもには、同居している身内から相談されるケースが多く、その場合外に出た子どもたちは蚊帳の外で話は進められます。結果、残された遺族には、「やりきれない思い」が残ることになるというわけです。遺言の中には、「付言」として遺言者の思いを書くことができます。残された妻への思い、祭祀承継をだれに託すのか。財産を分けた趣旨(ただし、この付言には法的強制力はありません)など。しかし、物理的な財産分けにばかり目が行き、付言に書かれた亡き人の思いまで気持ちが届かないことが多いようです。


(2)法的強制力が必要な事例

ある事例をご紹介します。
お子様のいないご夫婦がいました。お二人ともご高齢で、そのご両親も既に他界されています。ご主人は、自分の亡きあとの財産はすべて、妻にいくものだと思っていたようです。
しかし実際はこうです。「あなたが亡きあと、財産は法定相続人がもらえることになるんですよ。」「え、法定相続人?家内だけではないの?」「ええ、確かあなたの兄弟は6人で、そのうち3人が亡くなっていますよね。」「そうです。」「亡くなった方の子供は3人ずついらっしゃる。すると、法定相続人は、奥さんと、ご兄弟3人と甥姪さん9人、合計で13人ですね。」「え!」「あなたの亡きあとは奥様とご兄弟の関係の12人の方と遺産分けの話をしなければいけないことになりますね。」「・・・・・・」

仲が悪かった兄弟や会ったこともない甥姪の方と奥さんが遺産分けの話をすることは想像がつかないとおっしゃいます。この不幸な事態を防ぐのは唯一、奥さんに全ての財産を相続させるとする『法的に有効な遺言書』」を残すことです。遺言は法定相続分に優先されます。また、兄弟には「遺留分」という遺産分けに関する権利もないため、「奥さんに全て」という希望が叶うことになります。


(3)自筆証書遺言とエンディングノートとの併用

このように、法的に有効な遺言書を残さなければ「不幸な」事態に陥ることがあります。ただ、一般的な母親思いの仲のよい兄弟が法定相続人であれば「エンディングノート」に家族への思いと遺産分割についての示唆をしておけば十分とも思います。
ところで、公正証書遺言以外にも法的効果がある遺言として「自筆証書遺言」があります。これは、言ってみれば「隠れたる遺産分けのためのエンディングノート」です。法的に有効にするための要件は、@全文の自書A日付の自書B名前の自書C押印(認印で可)D相続発生後の裁判所の検認です。「自筆証書遺言」は、変造の可能性や紛失の可能性、裁判所から相続人全員に呼び出しがあることなど、煩わしいことが多いのは事実です。エンディングノートに家族への思いとともに遺言書のあり場所と「そのまま家庭裁判所にもっていけ。」と書いておけば有効に機能すると思います。エンディングノートは、遺言の法的効果を補完できる機能と付言の拡張機能もあるなあと考えています。

 

私の部屋    「 箱根旧街道の旅  」

 先日、箱根旧街道をハイキングしてきました。
新宿から湯本までロマンスカーに乗り、湯本からバスで畑宿で下車し、関所まで約3時間かけてのハイキングです(実際は4時間かかりました)。鼻歌を歌いながら、軽い気持ちで歩き始めたのですが、じめじめした石畳道は滑りやすく非常に歩きにくい、脇見をしていると滑って転ぶのではないかと思い、ひたすら足元だけを見て歩いていました。
休憩する予定の甘酒茶屋の手前に猿すべる坂があり、そこは名前のとおり、猿も滑る程の急な坂で、おまけに苔むした石垣の坂で、ここは何度も足を止めてしまいました。
江戸時代から続く甘酒茶屋で、甘酒とお餅を食べ一休みをした後、目指すは関所までひたすら歩きました。途中、傾斜の急なところが何か所もあり、息が上がってしまいます。次第に足は重くなり、気持ちは前に行っているのですが足は前に進みません。
スタート時のあの気持ちは何処へ行ったのか、街道沿いの草花を観察する余裕もなく、目線はいつも足元でした。本当に疲れました。江戸の旅人の苦労を実感しました。

 

あとがき

 富士山が世界遺産に登録されましたね。静岡県出身の私としてはとても感慨深いものがあります。富士山へは高校生の時に登頂しご来光を拝んだ経験があります。まだ薄暗い雲海の中から力強く昇る朝日はとてもきれいで鮮明に記憶しています。今回の一連の報道を見ていてまた登ってみたいという気持ちが強くなってきました。社会人になった今ではまた違った感覚があるかもしれません。(坂部啓) 

(編集者:小高・高田・坂本・佐藤・坂部啓)

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